好きなことを仕事にする/仕事を好きになる

思考の流れを書いてみようという実験です。

そもそも、世界にある課題のほとんどは「正解が無い」ものですから、じゃあどうやって Better に近づけていくか、という思考の繰り返しだと思います。思考停止したら危険なご時世でもありますし。

で、前回の本Blogで書いた「プランナーってライフスタイルなんじゃないか」というコトについて、考えてみました。
先輩方にコメント頂いて、そうだよなあ……と考えたその流れでもあります。

あと、普段使う言葉って大事だなあと。
そもそも言葉を使う仕事なんだから、ネガティブな言葉は書いたり口にしたりしないほうがいいなあと思います。いい言葉を使えばいいものが寄ってくる、のではないかと。

1.好きなことをしてるから遊んでる、わけでもない

僕のメインの仕事はゲームの企画書/仕様書の制作、ゲームシナリオや各種テキストの制作、です。会社には所属していない個人事業主で、フリーのゲーム開発者というやつです。

時々言われる「好きなことを仕事にしてる」というやつなのかもしれません。
(ゲームは大好きなんで、ある程度、好きなことやってる自覚はあります)

僕はゲーム=嗜好品だと思っています。
趣味嗜好の品。無くてならないものというよりかは、好きな人が手にとって愉しむもの。あると生活が豊かになるもの。タバコとかお酒とかコーヒーとか、そっちに近いイメージです。

だから、大前提として「その品そのものが好き、あるいは興味がある」人が作っているものだと思ってます。
好きとか興味の程度は人それぞれですけれど、「興味がない」となると、仕事として=お客様に喜んで貰うために頑張る、のはしんどいのではないかと。

興味はムリヤリ持たせられないので、色んなものを体験して、衝撃を受けるのが良いのかなと思ってます。体験大事。

2.仕事って何だろう、という課題への1つの解答

誰かを楽しませて、笑顔にして、その対価として報酬をいただくこと。

……ではないかと思っています。
そう思ったのは30歳過ぎてディレクションっぽい仕事をしてからですが。

学校を卒業してすぐの頃は「仕事=お金のため」でしたし、しんどいことを我慢して、その代わりに給料をもらうものだって思ってました。だって会社員の大人、みんな辛そうに見えたから(24歳の頃)。

同じ頃、外注ライターもしていたんですが、それがメインの仕事にはならないなあきっと、と思ってました。文章を書いて生きていくとか、「どの会社に入ったらいいかわからなかった」から。それに「才能のある人だけが作家とかライターとかになれる」と思ってて、ゲームクリエイターも同様だと思ってました。

20代の自分にとって、仕事って「基本嫌なこと」で、文章を書くのは「楽しいこと」だから、仕事ではない思考だったんだと思います。今思うと謎ですが。

才能って「どれだけ努力したか」ってことなんだと気づくのはもっと後のこと。振り返ってみると、すごいプログラマーさんやすごいライターさんはどなたも「手を動かす量」と「勉強する量」と「思考する量」が半端なかったです。
日常もずっと考えてますし、暇さえあればコード書いたり、本を読んだりしている。もう、ほんとにライフスタイルだと思います。

外から見たら成功したものしか見えないけれど、その成功の横には山のようなボツネタや失敗がある、というのを知るのも、30歳過ぎてからでした。
気づくのが早くはないけれど、実感できて良かったと思う1つです。

3.スタートには熱量が要る

だから強いて言えば、才能=続けられること、だと思います。
もっと言うと「ついやっちゃうこと」が「才能」に近いところにあるのかな、とも思います。しんどいことは続けにくいと思います。

じゃあ自分はなんでゲーム作ろうとして、作り続けるかというと。
ドラクエIIIをプレイして、ラストのフィールドに降り立ったときのBGM、ラストダンジョンで出会う○○、ラスボスの戦闘前の台詞、そういうものに衝撃を受けて、「自分でも作ってみたい、誰かに驚いて、感動して欲しい!」って感じたからだと思ってます。

たまたま僕はそれがゲームだったりゲームシナリオだったりしたから、そっちの方向に向かったわけで。

スタートは「衝撃」とか「感動」とか、なんらかの体験で心が動くことだと思います。ずーっとそれのことを考えてしまって、熱に浮かされたようになって。

一目惚れ、みたいな。

4.熱に浮かされたまま走る

だから、時間をいくら使っても惜しくないし、むしろほっとくといつまでもやってしまうようなもの。

スタートはこの体験が必要だと思います。
たぶんこれがないと、そもそも一歩目が出にくいと思います。

で、走り出したら「なんだかしんどい」になるかもしれないし「見ている方が好き」になるかもしれないし。

運良く──ほんとうに運良く、走り続けることができたら、どこかの段階で

なにか作りたい! → 作った物で誰かに喜んで欲しい!

になったんだと思います。

で、作った物が誰かに届いて、その人からお礼を言われたりしたら、もうライフワークになっちゃうしライフスタイルになっちゃうし。
あと楽しい。

自分で「これだなぁ」ってなるまで、どれくらいかかるかは人によるとおもいます。いきなり出会うこともあるし、十年、二十年かかるかもしれないし。
(だからといって「しんどい」のを我慢して続ける、というのは違うと思っています。その判断は、自分しかできないですし)

僕は17年やって、一周して戻ってきました。で、ライフスタイルになったんだと思います。
今もゲームをプレイするのは好きですし、ゲーム作るために技術を知るのは楽しいですし、それは仕事の時間とかプライベートの時間とか関係ないです。
作っている人と話すのもめっちゃ楽しいです。

衝撃を受けて、自分が作っているものがどんな魅力的なものか体感しているから、でしょう。まだ自分の理想とするものは生み出せていないけれど、だからこそ吸収して作って、を繰り返すんでしょうし。

5.仕事にすること

で、いいものを作るというだけでは仕事にできません。
ちゃんと知らせて、届けないと「作っただけ」になっちゃいますから。

なにより、作ったものへの責任が発生します。対価を頂く前提で、ものを作って届けるわけですし。いくら好きなことをやってるとはいえ──いや、だからこそ、自分は納得できるクオリティのものを届けたい。

続けているうちにもっと好きになっちゃった、という感じ。

・すごい体験をした(スゴイ人に会った、でも良いと思う)
・最初は「なんかすごい!」とか「やってみたい!」という勢いだけ
・でも興味はあるからなんとか続けられた
・対象を(僕はゲームを)観察したり分析したりするように
・続けているうちに興味が深まったり好き度があがったり
・ずっとやってても平気になった

……みたいなことかと。

で、どれが自分に合うかは人それぞれなので、とにかくいろんなことやってみるのがいいかなと思います。
「プログラミング」だと広すぎるので、コード書くのか設計するのかサーバ立てるのか……とか、いろいろ。
ゲーム開発もいろんなセクションがあります。

で、やってみて「なんか違う」と思えば、同じジャンルの中ですこーしだけずらしてやってみたりとか。

いいじゃん失敗しても(と、今なら思います)。
そのための会社だったりフィールドだったりもするわけですから。

いい仕事して、誰かを笑顔にして、報酬もらえれば、
きっと楽しいはず。

プランナーという生き方

フリーランスになってから顕著に感じるようになったことに、仕事と日常と遊びの境目が無くなった、というのがあります。

ゲーム開発者(というかもの作りすると)はそういう傾向があると思います。会社員時代の自分はそんな感じでした。
だから遅くまでオフィスに残って、あーでもないこーでもないと仕様を考えて見たり、同僚とゲームプレイして語ってみたり。

日常も、目に入る物全てを「なんかネタにならねぇかな」とか「なんでこうなってるん?」と思って見てますし、それは特に「頑張ってやってる」気はしません。気になるから気になる、という程度です。

だから、10時~18時半の間は仕事をして、それ以外はプライベート、みたいなのは僕には難しいです。そういう意味では24時間仕事だし24時間遊びだし、みたいなふんわりした状態になります。

これは「何をもって仕事をしたと判断する/されるか」というのが大きいのかなと。オフィスでデスクに座っている=仕事をしている、というのなら、たぶん僕、ほとんど仕事してないことになりますし。

プロット書くときに5分で浮かぶときがあれば1日考えてもぴくりとも出ないこともあります。で、時給換算されちゃうとものすごく困ります。5分で出来たプロットがつまらないわけではないし、2日考えてひねり出したプロットが面白いか、というとそうとも言い切れません(プロならどんな状況でも一定のクオリティは担保しないといけないと思いますが、いったん置いておいて)。

この辺はイメージなんだろうけど。
机に向かってうんうん唸って、企画書なりプロットなりを書いているイメージ。
実際には「書く」ってのは最終段階で、その前の情報収集とか構成とかが7割で、それが見えにくいってのが本質だと思います。

そしてこの部分にはお金が払われないことが多い。あ、もしかしてこれが、ゲーム開発とかゲームシナリオの仕事が難しい理由の1つなのか。
莫大なインプットを持っている前提のお仕事だから。

(スキルとか技術(EMSフレームワークとかUnityとか)自体はとても有用だけど、「面白いって何ぞや」というのはフレームワークじゃできないので。
できるようになったら面白いんだけどなー)

……とした場合、インプットを大量にして(というか「浴びて」)、それをバラして再構成する、というのを意識して大量にやる、というのがいいのかもしれない。とにかく100回とか100コンテンツとかやってみて(この段階では面倒でも何でもやってみる)、面倒だけど面白いなーと思えば続ければ良いし、しんどくて無理と思えば無理だと思います。

だって、情報やコンテンツを浴びて、それを再構成して、アウトプットするのが僕の仕事。しかも「浴びる」のは仕事中だけじゃ足りないので、日常ずっとやる必要があります。それがしんどいなら、たぶん仕事にするのはキツいです。

とすると、これはもうライフスタイルとか生き方なんだろうな、って。
だから好みとか合う合わないになるんだろうなと思います。

で、自分は最初からこうなっていたわけではなく、さまざまな現場を経験した上で、あーやっぱこれがいいなあ、とたどり着いたところなので(20年かかってる)、じゃあ24歳の自分にこの選択が自信を持って出来たかというとたぶん無理です。

なので、やってみて、「自分にとって楽しいのか辛いのか」を自分で判断するのが第一かなと思います。スキルとか道具はそのあとです、屹度。

 

2019:謹賀新年

あけましておめでとうございます。
2019年も何卒、よろしくお願い申し上げます。

個人事業主として3年目になりました。
試行錯誤を重ねる中で、皆様にはさまざまお力をお借りしつつ、なんとかやってこられている、というところです。
人に生かされ活かされる中で、受け取るだけではなく渡せるような仕事をできるよう、引き続き精進いたします。

そんな自分の今年のテーマは「アップデート」です。
家入一真さんがおっしゃっていた言葉をお借りしました。

アップデートっていうとPCのOSやソフトを更新したりするイメージかと思います。自分もそれと同じく「アップデート」していきたいな、と。

変化でも修正でもなく「いまあるものを強化していく」というのは、現代において大事なのではないかと思ったからです。
変化とか修正だと多かれ少なかれ「過去を捨てて」「新しくなる」部分があります。これも大事ですし、過去に固執することの弊害は間違いなくあります。

ですが、2019年はそれは(いったん)棚上げして、今あることを更新してみる、という一年にしようと思ってます。

それは自分の経験やスキルを棚卸しすることでもありますし、「いまできること」と「やりたいこと」を強化していくことでもあります。

生きていくための仕事、ということを追いすぎると、何をしたいのか分からなくなってきて、結果アウトプットの質が下がる、というのを実感しました。
だから、全体的にパラメータを上げるのは一時棚上げして、自分がやりたいこと+できること+どうなりたいか、に焦点を当ててていこうと。

出っ張っているところをよりとがらせるイメージです。

今から「弱点を直す」ことを始めると、「何者でもない人」になってしまって、それはこれから生きにくいのではないか、と思います。

その弱点が「自分が嫌」だったら直した方が楽そうですが、そうでないなら放っておいて、少しでも出っ張っている方を伸ばそう、ってことです。
それを仕事やアウトプットに繋げていこうというもくろみです。

さらに、アップデートしていく試行錯誤や思考の過程もアウトプットしていって、サイクルを回せればいいかな、と思っています。

人に会って、話して、アウトプットして。失敗前提で。

結局、正解なんてないわけですし、「現状維持」という「選択」は一番危険だと思う2019年ですから。

嫌われることとか怒られることとか、昭和で言う「空気」みたいなものは(平成も終わりますし!)忘れていいのかなって。ていうか忘れたい。

僕らおっさん連中が楽しそうに挑戦して(=失敗して)それを重ねていくのが、次の世代の役にも立つのかな、なんて思います。
もちろん無意味な失敗はダメですが。思考して検討して決断して実行した上での失敗を重ねるのが大前提です。
昨日と同じ事をやってるのに、異なる結果を求めるなんて狂気ですし。

そんなわけで。
さっそくアップデートを始めます。

今年もよろしくお願いいたします!

 

スケジュール管理の必要性をどう伝える?

スケジュール管理って必要か?

と問われれば、そりゃ必要だ、と答えます。
むしろなんで要らないと思うんだ、ぐらいは言いそうです。

ですが、たとえば学校の制作で「スケジュール切ってね」というとたいてい切られません。先生方が切ってくれたりもするんですが、見られた形跡が無いことが多いです。

……なぜ?

と考えて、我が身を振り返ってみるに。
自分も学生時代にスケジュール管理なんてしてなかったです、はい。

あ、ここで言うのはガントチャート的な、かなりきっちりと引くヤツを指してます。

バイトの日とか、テストの日とか、なにかしらの発売日とかをカレンダーに書くのはやってましたけど、それくらい。
工数を考えてガントを書くのは、会社員になってからだと気づきました。

……なぜ?

ってそりゃ、管理する必要があるような状況を体感してないからですよね。
文化祭の計画とか、みんなで何かするときには生徒会でガントぽい物を引いた記憶はあるんですが、全員が見てるわけではないですし。

開発現場に行ったら、大量の作業がパラレルでやってきますから、ある程度自分でスケジュール管理しとかないとあっという間に破綻します。

で、破綻してから立て直すのはしんどいので、今のうちに覚えて貰おうと思って「スケジュール書いてね」って言うわけですが──。

言われたからやる、とかしんどいだけ(書かされ感満載)だし、必要に迫られないと「腹オチ」しないのは当然。

やっぱ「これ必要だから書かないと」って状況にならないとやらんなぁ、と反省したところです。

で、最悪現場に行ったらスケジュール書かされますし、プロジェクト全体のスケジュールとガントチャートはディレクターなりチーフなりが引きますから、そこで覚える、というのもありかと思います。OJTと割り切って。

でも、先に必要性を知ってもらって、書き慣れているのに越したことはない。

■じゃあどうやって「必要性」を体感して貰うか?

「ガントがあった方が便利だし、楽に進められる」というのを実感してもらうコト、かなと考えてます。

ですので制作の際に、1回は(ディレクター的な立場で)スケジュールを横で管理してサポートするのがいいのかなと。
それで、なるほどこれは有った方がいい、無いとダメだ、ってのを感じてもらうのがいいかなと思っています。

「とにかく書いてね」ではいきなり書けないし、「スケジュールを書く」っていうよくわかんないタスクが振ってくるだけで、これは意味が無い、はず。

というかこれ、「教える」とか「伝える」こと全般そうですよね。

経験がある人にとっては「必要だってば!」って思うことも、経験してないと分からないのは当たり前。
ある程度は人によりますが、一度失敗して、そっかーこれはスケジュール引かないとしんどいなー、なら書くか、って「体験」を通さないとやらないよね、と思います。

まあ、なにより、僕自身がそうでしたし。

Zaurus、Palm、Outlook/Windows Mobile、フランクリン・プランナー、ほぼ日手帳……などなど。
途中から道具に凝り出して失敗した気もしますが。
※今はほぼ日手帳+Plotter(バレットジャーナル)で管理してます。

スタッフロールの価値と意味

たぶんドラゴンクエストIIあたりだと思います。
小学校3〜4年生くらいでしょうか。

ゲームをクリアするとエンディングになって、スタッフロールが流れて、そこに名前の並んでいる人たちがこのゲームを作ったんだー!って認識したのは。

その頃読んでいたゲーム誌が「ファミリーコンピュータ Magazine」。
そこには開発者の方がインタビューなどで出ていて(記憶にあるのは宮本茂さん)、この人達が作ってるんだ……って、ワクワクしながら読んだのを覚えています。

あんまり自覚はしてなかったんですけど、「ゲームのスタッフロールに自分の名前が載る」のは夢だったかもしれません。
……当時は、「スタッフロール」という名称すら知らなかったわけですが。

それから十数年。
loose@rouseの「電脳遊戯」(いい曲です!)のごとく大人になって、幸いにもゲームを開発するお仕事に就いて。

初めてスタッフロールに、開発者として名前が載ったのは「鉄拳6」でした。
開発が終わって、製品版を手にとって、最後までクリアして。
エンディングで流れるスタッフロールに自分の名前を見つけたときは、なんだかすごい達成感みたいなものがありました。
(正確には開発中とかデバッグでさんざん見てたんですが、製品で見られるのはちがう感動があります)

一昔前には、引き抜きを防ぐためとかさまざまな理由でスタッフロールが無い時期がありました。あっても本名じゃなかったりとか。

でも、2018年現在、そういう時代でもなくなったわけで。

何が言いたいかというと、スマホゲームとかの運営型ゲームや、MMOでももっとスタッフロール出せばいいのにー!っておもいます。

確かに工数はかかるんですが、プレイヤーさんにとっては「この人のシナリオが」とか「この人のプログラムが」とか知って貰えるのは、ゲーム業界を目指すきっかけになるかもしれないです。開発者にとっても嬉しいものですし。かけたコスト以上の価値はあると思ってます。
売り上げに直結する仕様じゃないので、外されやすいっちゃそうなんですが、だからこそ「あって当たり前」になってほしいなー。

Fate/Grand Order とか、エンディングとスタッフロールがあるゲームがありますし、configの中で見られるタイトルもいくつかあります。

ということで、スタッフロールが見られるゲーム、増えるといいなぁ……。

「刻時森」で空を見上げた

刻時森(くくじむい)という、なんともココロひかれる名前の森がある、というのを教えていただきました。

だって。ときを、きざむ、もり、ですよ。

調べてみると──、
1740年ごろ、古波津里恒という方が、王から命じられて日影と漏刻(水時計)との関係を観測した場所、とのこと。

文字通り「時」と「刻」の場所のようです。

首里駅から北へ、2kmほど歩いたあたり。
西原町の山側、とでも言うんでしょうか。
刻時森は、西原町の史跡として、町のウェブサイトにも載っていました。

◆西原町公式サイト – 刻時森
http://www.town.nishihara.okinawa.jp/asset/07kukuzimui.html

地図を見たところ、アドベンチストメディカルクリニックの近くのよう。
ちょうど人間ドックで行くコトになっていたので、ついでに見てくることにしました。

フリーランスをしていると、ついつい不規則な生活になります。
定時も退勤もないですから。
そんなわけで、身体のメンテナンスは超・大事、です。

山間の道を進むとこの看板があります。

11時頃に一通りの検査を終え、食事をいただいて。
バリウム飲んだ直後に、わりとガッツリした食事が出るのはすごいなぁとかおもいつつ。

肉と魚を使っていないとのこと。おいしーのです。

で、外へ。
この日は8月30日、残暑厳しい折──っていうか沖縄はまだまだ盛夏です。
12〜15時あたりは日差しが強いので、外を歩くと焼けまくりです。
あと汗。水を持って歩かないと倒れます。

地図で調べてあった「刻時森」の場所へ行こうと……思うのですが、森があるはずの病院の裏手に出られないのです。

沖縄で歩いているとよくあるんですが、目の前に目的地があるのに、そこに到達する道が分からない、っていう。
梅田のスカイビルも似た感じですが。あ、アレは今はヨドバシから橋が架かったので行きやすくなったのか……。

もとい。

勝手に人の家に入っちゃうといけないので、病院に戻って聞いてみました。

──結果。

病院の駐車場から見える、小さな丘が「刻時森」でした。

この丘が「刻時森」

──で、どこから入るんでしょう、これ。
病院の敷地に隣接してる、というか病院の敷地の中……?
「赤と白のタンクを目指して歩くと分かるよ」と言われたので(RPGぽくて楽しい)、写真の左端に映ってるタンクへと近づきます。

坂の下から病院へと登ってくる道を越えて、反対側の駐車場へ。
その脇に階段がありました。

かなり登る気配。

この日、朝まで雨が降っていたからか、足下はマイマイだらけです。
アフリカマイマイという、苦手な人はきっと悲鳴を上げるであろう、大きめのカタツムリさんがそこかしこに。

触れると感染症等があるとのことで、避けながら歩きます。すぐそこが病院だから、万が一の時も安心かなとかおもったり(だめです)。

ぽーっと歩いてると、マイマイを踏んづけてしまってすっころぶ、ってのをやりかねない(何回か経験済み)なので、下を見ながら階段を上ります。
いや、足下を見ながら階段登るのは当たり前なんだけど。

最後の階段。登ったらボス居そう。

わりと急な上、滑ります。草もかなり元気なので、運動靴と長ズボンで行くのが吉です。
最後の階段を上る途中、なんかしっぽの長い生き物(リスかイタチ?)が横切りました。フラグか。

階段を上ったところで行き止まりに。
正確には、階段を登り切るとタンクの目の前に出ます。で、そのタンクの周りをぐるっと金網が囲っているので、それ以上進めないのです。

左側は、崖ぎりぎりまで木が生えていて進めるようには見なかったんですが、右側を見ると、

右側は崖なので注意……!

進めなくもなさそう。

草と木の枝が伸びてきているので、気をつけて進みます。
うっかりするとマイマイがいるのでそれにも気を配りつつ。

10メートルほど進んだところに、橋がありました。

完全にRPGになってきた。

生い茂る木々の間に、手すりが見える……ので、おそらく正解なのでしょう。
タンクのメンテナンス用とかで無いことを祈りつつ。

なお、引き続き、右側は崖です。

外から見たときとは違う、結構なのぼりです。

足下にはブロックの道。
かなりの坂、ブロックを踏み外すと、濡れた松の葉で滑ります。

木々の合間からこぼれる日差しが綺麗。
期待感も高まります。

へっぴり腰になりながら、手すりを頼りに登っていくと、

先日の台風の影響でしょうか。

道が無くなりました。

というか、道は奥の方に続いているのが見えるんです。
ちょうど道をふさぐ形で、大きめの木が倒れています。

台風が来た直後、かつけっこう大きな台風だったこと。
地形的に周りに遮るものがない丘の、さらに出っ張った場所なので、かなり風が吹いたと思われるので、その影響なのでしょう。

どこまでもRPGです。
ゲームならこれはストッパーなので、何らかフラグを立てるなりアイテム取ってくるなりしないと進めないわけですが、ここはリアルワールドです。

……「入るなってコトかな」とも思いつつ、ここまで来たんなら見に行く!と、
少し戻って助走をつけて飛び越えました。

ここが「刻時森」

急に木々の数が減り、空が見えるようになりました。
地面も陽光に照らされています。

道もそこでおわり、小さな広場になっていました。
ここが「刻時森」。
一日中太陽が測定できそうですし、時間を計るにはよさそうです。

あたりで一番高さがある場所だからか、風も良く通ります。
特になにかが置かれている場所ではないのだけれど、昔ここで人が時間を見ていた、と思うと感慨深いです。

何よりとても静かで、
木々の間を抜ける風と、木漏れ日に癒やされます。

 

刻時森全景

木々が茂っているので周囲が見渡せなかったのですが、かつてはここから首里城や浦添方面、はては南風原まで見わたせたのでしょう。

木のうろに腰掛けて空を眺めつつ、休憩してから下山しました。
時間にして15分ほどなんですが、山の中を冒険した気分。

整備された観光地ではないので、訪れる際には「山に行く」つもりの靴とズボン、長袖を着用するのをオススメします。

あと、雨の直後を避けましょう。
アフリカマイマイが大量ポップしてるので、単純に危ないです。

行くなら首里駅から歩けないこともないですが、バスが便利です。
首里駅前から46番のバスで230円、「幸地ハイツ入口」で降ります。

バスを降りたら進行方向に5分ほど歩くとローソンと「アドベンチストメディカルクリニック」の看板が見えるので、その横にある坂道を登ります。

結構な急坂を登ると、赤と白の巨大なタンクが見えてくるので、そこを目指して歩けば「刻時森」です。

何もないけれど、
かつて誰かがいたところ。
300年前も同じ空だったのかな、なんて思いながら、
見上げてみるのも楽しいかもしれません。

 

 

 

呪いを解いた先に

頭が固くなりました。

子どもの頃から、頭の柔らかいほうではなかったとおもうのだけど、時間を重ねてある日気づくのです。

うっわ思考が固まってる!

仕事中に、いろんな可能性を検討しているつもりで、「あることをやってはいけない」というのを盲目的に信じて、他の可能性を排除して──そこで思考停止していること。
止まるな危険!なのです。

一度思考停止してしまうと、その「呪い」とも言えるものは、自分の中に拡がっていく、って感じました。

この部分って、他人に言われないと気づきにくいのかもしれません。
自分で気づいてたら何とかするわけですが、「気づく」ための自身のOSに、ある意味バグがある状態なわけで。
その状態のOSが、自身のバグを認識するのはなかなか難しいのでは、と。

といって、人に言われても「あぁ?」ってなりやすい部分でもあるので、ここはアレです。

自分で「これは○○すべき」って思ったら、
そしてそれがどこか違和感があったり苦しかったりしたら、

「ほんとにそうか?」って、
自分に「なんで?」って、
問いかけてみることかな、と。

会社に行かなくちゃいけない!
……なんで?

勉強しなきゃいけない!
……なんで?

ご飯は残しちゃいけません!
……なんで?

人に迷惑をかけてはいけません!
……なんで?

ここで「当たり前だろ!」って思うのが思考停止。

それぞれに理由があるだろうし、それぞれの環境は違うので、一律「こうあるべき!」なんてのは無いです。

特に物作りするんであれば、「なんで?」を自分に対して重ねまくるのは、ホントに重要だとおもいます。

かなり気をつけていたつもりだけど、いつの間にか忘れてる。

ということで改めて、

ゲーム作らなきゃいけない!
……なんで?

実装者が仕様を切る、のか?

ゲーム開発をしていると、内容が曖昧なタスクが多いことに気づきます。
これがいろんな問題の根っこになっていることが多いんだな、ということにも。

たとえば──パラメータの上限下限

レベルの上限とか、HPの最大値とかそういうやつです。
いや、そんなのプランナーが決めて仕様書に書いてあるだろ?と思われるかもしれませんが、ものによってはなかったりします。ていうか無いことが多い。

UIに表示される、つまりプレイヤーの目に触れるモノについては、さすがに仕様書に書いてあります。最大レベルは999、とか。

ここで言うのは、内部パラメータとかのことです。

たとえばキャラクターID。
ゲーム中の、プレイヤーが手にするキャラ1体ごとに振られる、ユニークな番号です。仕様書にもそう書いてあったりします。で、初期キャラは12体、後から追加の予定あり、とあります。

ここで、じゃあいくつくらいまで増える見込みなのか?は、誰も分かりません。でも、実装するときには、idを持つ変数のサイズを決めないといけません。通信経路にも乗るデータなのでなおさらです。

何も考えずに uint64 とかやるとあとでしんどいことになります。
具体的にはデータベースエンジニアさんか、ネットワークのインタフェースの実装者に怒られます。怒られるくらいならいいですが、いったん稼働しちゃったら、この辺を直すのは大変です。

あとで Alter すればいいじゃん、とか気軽に言っちゃだめです。
(ゆえに、オルタって単語を聞くとちょっとびくっとします。癖です)

だって、最終的にキャラは100体行かないと分かっていたとしたら、 uint64、つまり42億もサイズがあっても無意味です。tinyint で充分です。

でもですね、最初の段階では、キャラがどれくらい増えるかは不明です。
不明なんですが、プログラマは変数のサイズを決めないとコードが書けません。じゃあってんで、最大取っておけばいいだろうと uint64 で(以下略。

そうなると、プログラマがプランナーに聞くわけです。

キャラって毎月何体追加予定?って。

そうすると、イベントで2体、最大で4体かなぁ、10体は物理的に作れないから、2桁になることは無いとおもう、みたいなのが出てきます。

それを聞いてプログラマは、じゃあ運営が10年続くとして(かなり長い)、尽きに最大10体増える、とすると、初期の12体を加算して、

12 + (10×12)×10 =1212

運営チームがめっちゃ頑張ってキャラ作りまくって、売り上げもよくて10年続いたとしたら、最終的に 1212体になる、と。
tinyintでは足りないけど、smallint なら十分だな、と分かるわけです。
少なくとも uint64 なんて不要だ、と判断する、ってわけです。

そしてこれはプログラマの仕事なのか、プランナーの仕事なのか。

経験上、両方の仕事、気づいた方がやればいいじゃん、と思ってます。

さすがにHPの上限とか、表示物の最大桁数が「わからん」だったらプランナーが考えろ、になります。でも、こういうゲーム本体と実装の狭間にあるものは、プランナーとプログラマ、さらにはデザイナーも一緒に顔をつきあわせて考えていくのが、事故が無いかなとおもいます。

事故るのは、「仕様は切ったからあとはよろしくね」ってプランナーが投げちゃう時。ほんとうに「全部」仕様書にあればいいですけど、たいてい何か抜けてます。実装している最中に見つかる穴も山ほどあります。

ですんで、

プランナーは、担当部分の仕様を切ったら、実装を手伝って、デバッグして、書いた仕様通りに動いているのを確認する

までが担当業務です。

ですから、ハードウェアの特性やプログラムのことは知っている必要がありますし、デザインやUIについても「担当じゃ無いから知らん!」ってのはよくないです(というか僕はそういうプランナーだと一緒にやりづらいです)。
分からないなら、目の前にプログラマなりデザイナーなりのプロが居るわけですから聞くべきですし、自分でもある程度は勉強して知っておきましょう。

ということで、自戒を込めて、なのでした。

 

ゲーム好きはゲームを仕事にできるか?

「好きなことを仕事にするといいよね」
とか、
「好きなことで食べていけるとかうらやましいよね」
なんて言われることがあります。

同時に、
「好きなことを仕事にするのはやめたほうがいい」
とか、
「仕事と趣味は別にしたほうがいいよね」
というのも聞かれます。

どっちなんでしょう?

今のところ、僕は一つのシンプルな答えはないとおもっています。
でも、いくつかの「やり方」はあるのかな、と気づいてきました。

それは、

1)好きなことを掘り下げまくってから、それで稼ぐ方法を探す
2)一番好きなことと同じくらい、好きなことを見つけておく
3)無理に目的を探さない

というところかなと。
それぞれ説明してみますね。

1)好きなことを掘り下げまくる

「ゲームが好き」なので、「ゲームの仕事」をしたい。
それはいいとおもいます。僕もそうでした。

ですが、「ゲームが好き」だからといって「ゲームを作るのが好き」とイコールではないはずです。
おそらく最初の「ゲームが好き」は、「ゲームをプレイするのが好き」であるはず。だとしたら、それをいきなり作る方に回ったとして、おなじ「ゲームが好き」のままであるとは考えにくいです。

ですので、「ゲームが好き」なら、自分はゲームを「どう」するのが好きなのか、というのを考えてみる必要があります。

ゲームで遊ぶのが好きなのか。
→一人で?PVPで?MMOで?ランキングを極める?
ゲームを語るのが好きなのか。
→シナリオを?キャラを?ゲームシステムを?メカニクスを?

……みたいな感じで、自分に「なぜ?」って掘り下げまくっていきます。

たぶん最初は、「あ、今はゲームを一人でプレイして、好きなキャラを育成するのが好きみたいだな」とか分かってきます。

でも、ゲームを仕事にしたい、としたら。

ゲームに関わるいろんなことをやってみたらいいとおもいます。

遊ぶのはもちろん、
・作ってみる(専門学校とかゲームジャムとか、なんなら家でもできます)
・売ってみる(販売店でバイトとか)
・イベントしてみる(身内でゲーム大会してみるとか)
・語ってみる(ブログ書くなりライターに応募するなり)
とかとか。
いろいろできます。

で、そのなかで、ゲームとどうつきあうのが「らく」かな、ってのを見つけていけば良いと思います。たぶんこれが、学生時代の大きな目的の一つなんだろうと、最近考えています。

2)ゲームと同じくらい好きなことを見つけておく

これは、作家の先輩がおっしゃっていたことでして。
僕自身が身にしみて感じたことでもあります。

というのは。

ゲームが好きで、つくってみたい、コレを仕事にしたいとおもってゲーム会社に入って。もちろん開発は楽しいんですが、しんどいこともたくさんです。

スケジュール遅延、ボツ、突然の差し込み作業、ハードウェアトラブルetc。
そうすると、どうしても「もうゲームつくるのしんどい!」ってときがあります。

ゲームを仕事にする前は、たとえば学校でやなコトがあっても、家に帰ってゲーム機の電源を入れてストレス解消!ができました。

ですが、ゲームを仕事にしてしまうと、それができなくなります。
ゲームを作るのが仕事なので、それ自体が、自分の回復に使えなくなるときがあります。しかも、一番回復して欲しいときに。
その上、その回復方法を封じたのは自分自身なのです。だって、一番好きなことを仕事にしたのは、自分なんですから。

これを回避するための方法はひとつ。
ゲーム以外に、ゲームと同じくらい好きなことを見つけておく!
です。

3)無理に目的を探さない

これは理性では理解してるんですが感情でまだもやっとしてることでもあります。つまり、「ゲーム開発者は、全員が、どうしても作りたいゲームややりたいことがあってゲーム会社にいる」わけではない、ということです。

最初はゲームが好きで、作ってみたら楽しくて、それを外に公開して遊んでもらって、感想もらったらめっちゃ嬉しかった、のでこれを仕事にしたい、みたいな始まりだとおもいます。

それを何年か、何十年か続けていくと、作りたいものを見つけたり、一緒に作りたい仲間に出会えたりします。

順番の問題です。
開発者になるなら、作りたいモノややりたいコトを見つけなきゃ!……っていうのは、おそらく、逆です。

人によっては(とても少ないと思います)、最初から「どうしてもコレが作りたいんだ!」って強く思っている人も居ます。

でも大多数は、もっとゆるやかな、「ゲーム開発者で食っていきたい」くらいなんだろうと思っています。

というのは、僕自身が勘違いし続けていたからで。
作りたいものって、無理矢理見つけるものなんかじゃなかった。
作っていく中で、ある日見つかるかもしれないし、見つからないかもしれないし。そういうものなのではないか?って。

なのでまずは、手を動かして何かを作ること。
作ったら他人に見せて、感想をもらうこと。
その時、自分はどう思ったか──感情が、どう動いたか?──を注意深く見ること。

で、まずは「とりあえずやってみる」。
次に「人に見せる」。

これに尽きると思っています。

「できるようになってからやる」だと、人生短いんで何もせずに終わります。
マジで。

ゲームの根っことアクションのリスク

ゲームには目的と手段があります。

プレイヤーは手段=アクションを使って目的を達成する、というのが基本的な作りです。
だからEMSフレームワークなんかを使って、目的と手段を置いて、そこから膨らませたりするわけです。

が、最近気づいたのは、

アクションにメリットしかないように作ってしまう

ということ。

言い換えれば

アクションすることそのもののリスクが無い

ってことです。

敵に当たればダメージを受ける、穴に落ちればミスになる、のは良いとして。
プレイ中に一番多く行うであろうアクション=手段をするところに、何のデメリットもないとすると

・成功か失敗のどちらかしかない
・アクション自体は失敗しない

なんてことになりやすく、プレイヤーが速く飽きます。

リスクを取ったときにメリット(リターン)があれば、そこに緊張感とか達成感とかの感情が生まれます。

この辺の感覚は、プリミティブなアクションゲームをいっぱいプレイするのがよいだろうなーと。
やっぱり任天堂は偉大です。