嗜好品は消費するんじゃなくて、たしなむものだ、って。
これは親友の祖父が申していた言葉で、深くうなずいた記憶があります。
──で。
僕は、ゲームも「嗜好品」だとおもっています。
コーヒーとかタバコとかお酒とかとおんなじ。
「コンテンツ消費」とか言うけれど、消費するのはいやだなー、と思っている方です。ゆっくりたしなみたい。
もちろん、大前提としてゲームはエンターテインメント、娯楽です。
だからどう楽しもうと自由。消費する人がいてもいい。
ただ、僕はたしなむけど、それを押しつけないですよ、ってくらいで。
そう、押しつけない。
これ大事。
だから、ゲーム好きがゲームを作る。すごく自然。
っていうのは、僕が入った頃のナムコの社員って、みんなものっっっっっっっっっっっっすごくゲームが好きなんですよね。
ゲームに対して真剣だし、努力も手間も惜しまない。
(今思うと必要ないところでオーバークオリティだったり、残業も多かったりと、課題はいっぱいありました。だから、これがいい、こうしろ!ってことでは全く無い)
僕もたいがいにゲーム好きなので、とにかく楽しかったです。
ゲームを真剣に語れるし、ゲームのためなら命をかけられるし。
そういう人が作っているのがゲームだって体感したから、自分もその仲間に入れてもらったのは幸せでした。
……で、2019年。
ゲームの会社は増えて、ゲームの仕事も2000年よりは一般化しました。
そうすると、ゲーム開発も特別ななにかではなくなりつつあります。
要するに、それほどゲームが好きじゃない人も「ゲームの仕事しようかな」って思って来てくれたりする。
ただ、作るモノは生活必需品じゃなくて嗜好品です。
世の中に無くても、誰も困らないモノです。
その場合、現場で最後まで頑張りきれるのは「ゲームへの情熱」みたいなものなんじゃないかと思ってます。すくなくとも自分はそうでした。
ゲーム開発って言っても仕事ですから、〆切はある、調整ごともある、突然仕様がひっくり返ることもある。
そういう理不尽(自分が頑張ってもどうしようもないこととか)は当然あるけれど、そこでゲームが好きかどうか、ってのは、そのあとのモチベーションとか気力に大きく影響します。
では、ゲーム業界を志望してくれる学生さんに、「ゲームがそれほど好きじゃないなら来るな」と言うか?というとNoです。
僕ができることとしたら。
・ゲームを紹介して遊んでもらって、何かしら琴線に触れる機会を持たせる
・開発者など、最前線で活躍している魅力ある人と会う機会を作る
とかやって、ゲームへの情熱を持ってもらうことかな、とか思ったわけで。
でも。
これって、人に言われてやることなのか?という疑問。
「それまで機会が無かったから、その機会を提示する」というのはいいと思うんです。それが学校の役目の1つで、学校に来るメリットだと思っています。
ただ、それを見て、触れて、どう思うかは人それぞれ。
だから「ゲームそれほど好きじゃ無いかも」と気づいてもいいし。
その上今って、パソコン(5万円くらいで買える。スマホより安い)とインターネット回線があれば、ゲームって作れちゃいます。
Unityは無料、画像や音もフリー素材がある、各種ライブラリもある。
本気でゲーム好きなら、ヘタだろうがなんだろうが作れる環境です。
そんな状況で、ゲーム好き、ゲームの仕事したい!なのにゲーム作ったこと無い!ってのは、どうしても(ゲーム業界志望者の中では)見劣りします。
だって、これだけお膳立てがあってやらないってことは、それほど好きじゃない、ってことでしょ?という問いへの反論が難しいからです。
とすると。
ゲームの学校で、学生さんに何を伝えて、どこへ導いていけば良いのか。
これは改めて、教える側が考えることなんだと思います。
ゲームってITとエンタメという、変化の早い2つが組み合わさっているので、ものすごく変化が早いです。
去年教えていたことが、今年になったらもう古い、なんてザラです。
思考停止しない。立ち止まらない。
そして──正解の無い問いに挑み続ける。
それは開発者も、学生も、先生も、同じ事なんだと思います。