ゲームプランナー · 沖縄生活 · 野良作家

「遠い」が遠くなっていく

大学生の時、初めて新幹線で大阪に行きました。
当時ハマっていた「メイルゲーム」という
アナログゲームのプレイヤー仲間に会うのが目的でした。

当時の僕というと、
静岡の田舎から出てきたばっかりで、
何も知らないお子さまで。
今考えたら、よく行こうと思ったなぁ、とひやひやします。

そもそも新幹線の切符ってどうやって買うの?
とか
宿ってどうやって予約するの?
とか。
ネットはすでにあったけど、
今ほどオンラインサービスが便利で分かりやすくなかったですし、
そもそもリテラシも高い方ではなかったです。

それでもなんとか予約して、新幹線に乗って、大阪は江坂へ。
カメラが無かったので写真が残ってないのが残念ですが、
めちゃくちゃ楽しかった記憶として残っています。

カメラ付きケータイ(昔懐かしい「写メール」機)は持ってなくて。
この少し後にCasioのQV-10が出て、バイトして買ったのでした。
VGA、の半分の粗い画像が今も残っています。

──で。

この当時、スゴく遠くまで行けたような気分でした。
大阪は異世界でした(良い意味で!)。

僕が生まれた静岡県清水市(現:静岡県清水区)は、
海の近くの小さな街で、
いつも富士山が当たり前のように見えていました。

隣町の静岡に出かけるのが「遠く」で、
それより先は行ったことも見たこともない、という子どもでした。

たぶん、ずっと地元にいたら、
そのまま暮らしていたと思います。
人口減で不自由になっていくとかはあると思いますが、
それはそれとして、その地でなんとかしてたと想像します。

でも、一度外に出たらと、
見たことのないものが見られたり、
何より「遠く」って思うほど遠くなくない?
って思うようになりました。

もともとそういう性格だったのかもしれないけど。

かくしてそのゲームのプレイヤーさんに会うために
北は北海道から南は沖縄まで飛び回り、
今は沖縄にやってきて暮らしているという次第。

思うのは、「遠い」という概念は、
遠くに来てみないと見えないのだなぁ、ということです。

英語の「between」を「あいだ」という言葉を使わずに説明する、
ってすごく難しいと思うのですが、
それに似てる気もします。

遠くが平気な人は、
遠くを見てみたくなる人は、
遠くまで来たことがある人。

もしそうなのだとしたら、
変化するコトって、アップデートって、進化って、
努力してできる部分とそうで無い部分があるのかもしれません。

だから、人間には、
先生やメンターや師匠や先輩=外の力、
が必要なのかもしれない、なんて思いました。